NTT対ドコモ、28年にわたる暗闘の歴史~ドコモの完全子会社化で決着(3):ネットアイビーニュース「携帯電話料金の4割値下げ」に執念を燃やす菅義偉政権が誕生した。早速動きがあった。政府が筆頭株主のNTTは、4兆2,500億円を投じてNTTドコモ(以下、ドコモ)を完全子会社化する。ドコモが二の足を踏んできた携帯電話料金の値下げを、菅政権の意をくんでNTT主導で実施するためだ。 ドコモが1992年にNTTから分離独立して以来、両社の間は緊張関係にあったが、NTTが今回、資本の論理でねじ伏せた。NTTとドコモの暗闘の歴史を振り返る。
ドコモの次期社長拒絶事件 2004年、世にいうところの「NTTによるドコモ次期社長拒絶事件」が起きる。 2代目社長の立川が任期を終えようとしていた04年4月上旬に、「次期社長に津田志朗副社長が内定」の見出しが新聞各紙を飾った。しかも、複数紙が報じたことで、この人事は間違いないものと考えられていた。 しかし、親会社NTT社長の和田紀夫が、その人事に「待った」をかけた。立川と津田は技術系であるため、社長は技術系が2代続くことになる、というのが反対の表向きの理由だった。内定していた津田の昇格を覆し、3代目の新社長に事務系の中村維夫を起用。大逆転を演じてみせた。 中村は和田と同じ労務畑。技術系の発言力が強まれば、ドコモのNTT離れが加速すると判断した和田は、腹心の中村をドコモのトップに据え、力で押さえ込んだ。中村は、iモードを開発した技術者たちを追い出した。彼らを大星や立川と同じ独立派と見なしたからだ。
NTT5代目社長の和田は、労務畑を中心とした事務系支配を目指す 和田は、長期政権に意欲を見せた。2期4年の任期満了を迎える06年6月以降も留任する意向で、自民党の郵政族や総務省に内々で打診してきた。3代目社長の児島仁、4代目社長の宮津純一郎とも3期6年だ。1年留任が認められた。 長期政権を考えた最大の理由は、技術系と事務系のタスキ掛け人事に終止符を打ち、労務畑を中心とした事務系の支配を確立することにあった。  和田は、05年6月のグループのトップ人事で、持株会社に布石を打った。持株会社NTT副社長の高部豊彦をNTT東日本社長に、NTT東日本社長の三浦煌(さとし)をNTT副社長にするバーター人事がそれだ。 高部は労務畑を歩き、和田の右腕として数々の修羅場で陣頭指揮を執った。この人事の焦点は、三浦を取り込んだことだ。三浦は労働部長を務め、「将来の社長候補」といわれてきた事務系のエースである。だが、三浦は、事業会社の社長として持株会社のグループ支配に不満を示していた。その三浦を持株会社に取り込んで不満を封じると同時に、次期社長に登用して労働族による支配を盤石なものにする。まさに一石二鳥の布石だった。 和田は5年で退任。三浦が2007年、NTTの6代目社長に就任した。

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