老舗旅館から「付加価値のつくり方」を学ぶということだ。
私は今回、大きくわけて4つのポイントから老舗旅館を個人的に評価してみた。
①人的要素
これは、一言で言えば「もてなしの心」である。具体的には、服務、哲学、もてなし、女将、仲居、男衆、時間管理、会話力、気遣い、対応力、多様性、説明力、教育。
②部屋としつらえの要素
具体的には、広さ、ベッドと書斎、お風呂、清潔感、しつらえと匂い。
③食事の要素
夕食、朝食、お酒、新鮮度。
④価値観の要素
雰囲気、季節感、センス、アメニティー、庭園の意匠性、伝統と歴史。
妻と、5点満点で採点してみたが、それぞれ甲乙つけ難いということだった。言うまでもないが、それほど一つひとつのレベルが高いのだ。
「こだわり」が顧客を生む
具体例をあげると、まずは「湯豆腐」。ありふれた料理だが、その深掘りの仕方が半端ではない。豆腐、水、出汁、どれも専門店に引けを取らない。そしてお風呂は「高野槙」だ。香りの高さでは檜の上を行くと言ってもよい。加えて居住空間は、子どものころ家の中で狭い空間に籠ったときのなんとも言えない安心感、そんなことを思い出させてくれる落着きを与えてくれる。他にも、磨き込まれた「ガラス」、私自身、そこにガラスがあるとは気が付かずに手をぶつけてしまった。
このように例を挙げればキリがないのだが、要するに、妥協しない徹底的に深掘りしていると言える。
黒子のようなサポート役もいる。古い数百年の設え(しつらえ)を維持するのは大変だ。京都人なら知っている人も少なくないだろうが、「洗い屋」という職人さんが存在する。宮大工の仕事は神社仏閣を残すことだが洗い屋の仕事は何も残さない仕事である。木桶や家具や部屋についた手垢や脂汚れを酸アルカリで拭いとる仕事である。然も硫酸や苛性ソーダの濃度をベロで覚えるという身体を張った仕事である。こんな職人さんは京都にも数軒しか残ってないかと思う。
こうした姿勢は代々受け継がれてきたものである一方で、日本企業が得意とする「良いモノを安く提供する」こととは一線を画している。
実は、私自身、若い頃はこのような京都文化が好きではなかった。上から目線であるし、排他的な感じもする。しかし、年齢を重ねると、まるで熟成したワインのようにその良さがわかってくるのだ。逆にいえば、老舗旅館は「神は細部に宿る」を地で行く形で、暗黙のうちに価値が分かる人に来てほしいということを物語っているのである。
徹底的な「こだわり」があるからこそ、その価値が分かる顧客がついてくる。私のビジネスで言えば、徹底してレアメタルにこだわってきたわけだが、日本の総合家電などを見ていると、総合であるがゆえに、何かにこだわる、つまり、尖った商品やサービスを生み出せなくなってるのではないかと思えてくる。
リピーター戦略
さて、未曽有の円安が続いてる。為替ばかりは、いくら嘆いてもどうすることもできないが、インバウンドが増えることは確かだ。そうであれば、彼らをいかにリピーターにするか、ということがポイントになる。円安で「割安だから来て」という姿勢では、このチャンスを逃すことになる。
老舗旅館には「掛け軸」のリストが置いてある。各部屋に有名な掛け軸があるのだが、「見たければ、また今度泊まりに来てください」というしかけになっているのだ。あからさまにリピートをお願いするのではない、このさりげなさが、京都文化の強さであるように思える。
安いニッポンからの脱却
インバウンドが増えることに乗じて、むしろ値上げをするべきだろう。円安(ドル高)でも外国人旅行者に「安くない」と感じさせる。それだけ価値のある商品、サービスであるということをイメージさせるためだ。
今回、私は旅行代理店経由で老舗旅館を予約したが、中にはインターネット予約をしていないところもある。これも逆転の発想だ。アクセスできる窓口を狭くすることでむしろ価値を上げているのだ。
さて、最後に私から提言したい。今回、3つの老舗旅館に三連泊したのだが、費用は平均して10万円。日本感覚で言えば、確かに高い。しかし、前回原稿でも書いた通り、先月、私はサンフランシスコに逗留してきた。老舗旅館ほどのクオリティが全くないにもかかわらず、値段は高いのだ。もちろん、円安の影響もある。
しかし、日本の価値あるサービスや商品が「安売り」されているのではないか? と私には感じられるのだ。価格決定権を顧客に渡すのではなく、自分たちで値決めをして、その価値を伝えていく。これは日本全体で、価格戦略を見直すべきだろう。私の経験でも、レアメタルを使った新素材、加工といった「技術分野」で、日本は安売りをしてきた。今こそ自発的なインフレについて考えてみるべきだ。
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/28368