東京大学未来ビジョン研究センターと三井不動産東大ラボは、2022年2月28日に「AI分野における大学を核としたスタートアップ集積」を開催した。本シンポジウムは東大の本郷キャンパス周辺で起業するAIスタートアップについて、同様にAIスタートアップが集まるカナダのトロント大学と比較しながら、スタートアップの集積発展における鍵を探るプロジェクトとなっている。
イントロダクションとして、東京大学未来ビジョン研究センター副センター長である渡部俊也教授より、経営資源を持たないスタートアップの強みとして、人間的なつながりがあるのではないかと紹介した。東大の本郷とカナダのトロントにおける比較研究を進めて、お互いの補完関係における研究も視野に入れたいと説明した。
学生も研究者も今すぐ起業すべき!?
最初のプログラムとして、ディープ・ラーニングを始めとしたAI研究の第一人者である東京大学の松尾豊教授と、カナダ・トロント大学でディープ・ラーニングの開祖であるヒントン教授の指導を受けたシェイン・グウ(Shane Gu)東京大学未来ビジョン研究センター 客員准教授の対談が行われた。
松尾氏はAIにおける研究開発が米国の大手IT企業を中心に急速に進む点を指摘して、産業と学術の連携の重要性を示した。既に松尾教授が支援するスタートアップによるネットワークも築かれつつあり、シリコンバレーに倣って「本郷バレー」を目指したいと述べた。
また、企業における構造的な課題として、高齢の社員が多く若手社員には高給を出せないため、外部の企業に高い報酬を支払ってDX(デジタル・トランスフォーメーション)を進めている点など、日本社会全体に歪んだ構造があることを指摘した。
さらに短期的には是正が難しいものの、この歪みを利用することでスタートアップが大企業向けの受託開発で一定の成長を見込める。こうした現状を400mハードル走に例えて、業界の慣習や既存ビジネスとの関係といった障害を乗り越えて成長していくのが日本のスタートアップで、対して米国では、100m走のように、純粋に強い企業だけが生き残る環境であり、そもそも競技種目が異なるため、そのままでは海外進出が難しいと述べた。最初から世界を目指すなら日本で起業する意味がなくなり、結果的に日本のIT企業が世界では勝てないという状況が20年以上続いていると問題の根深さについて解説した。
シェイン・グウ氏はカナダのトロント大学で学んだのち、スタンフォード大学やGoogle Brainでの研究に取り組んだ経歴から日本と海外における印象の違いを説明した。日本は英語や海外に対する関心が薄く、ITや博士(PhD)への待遇が低い点を問題視しているという。しかし「日本はもったいない」として、GDP世界3位の市場規模や基礎教育の高さ、繊細な感性や職人的なこだわりなどといった民族性などを挙げている。その上で英語や情報収集力を伸ばして、資金力や挑戦心を持ったスタートアップを増やすためにどうすればいいかを松尾教授と話したいと結んだ。
こうした課題を打破すべく、人材を増やして起業を支援する仕組みについて伺うと、松尾教授からは「感染性」というキーワードを提唱した。
コロナ禍以前では松尾研究室の学生を何度もシリコンバレーに連れて合宿を行い、現地の雰囲気や空気にふれることで起業やイノベーションを目指すようになったという。同研究室出身であるGunosyの関氏やPKSHA Technologyの上野山氏を挙げながら、起業のきっかけとなったのではないかと説明した。
シェイン氏もトロント大学の研究室からシリコンバレーでインターンをする学生や、研究と並行してGoogleより入社が難しいとされるパランティアテクノロジーズ社に挑戦する研究者の例を挙げた。また、トロントでは企業やベンチャーキャピタルなどからの出資もあり、起業を支援する下地があるという。
松尾氏も研究者による起業は十分にメリットがあるとして、「向き不向きはあれどブルーオーシャンであるのだから、リスクを取ってやるべき価値はある」と鼓舞した。合わせて学校で経済や金融に関するリテラシー教育が皆無なため、技術力のある理系学生が極端に安い価格で仕事を請けてしまう点を問題に挙げた。例として高専の学生が地元企業からのアプリ開発を30万円で受託した経緯を紹介して、「せめて300万円でやって欲しい」と苦笑いを浮かべた。技術の価値を理解できておらず、高い金額でも良いものを作れば納得される点を指導しなければならないとした。
まとめとして「本郷バレーはシリコンバレーになれるか?」という質問に対して、松尾氏は「成長速度は指数的に毎年数十%成長しており、最初はわかりにくいが途中から一気に急成長していく。今の時点で海外との差は大きな問題では無い」とした。その上でエコシステムを毎年連続的に成長させるためにはそれぞれのプレイヤーがやるべきことをやりながら成長を阻害しないように対策する「変なことしない」という点を掲げた。その上で海外とのつながりが懸念となっており、支援を強化すべきと説明した。
シェイン氏は海外の情報を理解する点を課題に挙げた。特に学生や研究者が言語の壁を越えて人とつながり直接情報を得られるように、言語の重要性を挙げた。さらに日本人だけでは世界進出においても限界があるため、世界のトップ人材が日本に関心を持ってくれる環境を作れるかが課題とした。
次のセッションでは、三井不動産ソリューションパートナー本部の産学連携推進部で主事を務める丸山裕貴氏より、本郷周辺におけるスタートアップ・エコシステムの現状が紹介された。
同社は「三井不動産東大ラボ」という東京大学との共同研究に取り組みながら、合わせて本郷周辺におけるスタートアップのエコシステムについて発展施策を行っている。
こうした背景から、丸山氏が東京大学未来ビジョン研究センターへの出向期間中に行った本郷周辺におけるスタートアップが集まる要因に関する分析を発表。起業に影響を与える点として、課題を抱えた際に相談できる社外アドバイザーの存在を挙げて、15分以内という近い場所で相談できる点を挙げた。
経営、研究開発、市場調査、資金調達、人材採用などスタートアップは様々な場面で課題が発生する。そこで対面でのコミュニケーション頻度が東京23区内企業よりも、本郷周辺在住企業で2倍近い差があることが強調された。起業において指導役となるメンターの重要性は周知の事実であり、こうした関係性によって好循環を生み出すことで成長における期待を寄せた。
次に未来ビジョン研究センター受託研究員である西方祥平氏から、トロントの再開発にみる集積のポイントと課題が発表された。
近年ではAIで実績のある大学や研究機関に加えて、大企業やベンチャーキャピタルが集積する背景を解説した。4人に1人が卒業後に国外で働くため、優秀な人材を国内に留める役割も果たしている。また、IDEAプロジェクトと呼ばれるスマートシティ建設において計画準備段階からGoogleの親会社であるAlphabetが出資するSidewalk Labsが関わりつつ、地域住民が抱くデータの取り扱いやプライバシーに対する懸念を丁寧に説明しながら了承を得るなど、地域に密着した環境づくりが解説された。
「本郷バレー」を世界から多様な人材が集まるブランドへ
最後のパネルディスカッションは、「AI研究と事業による集積:本郷への当てはめと仮説」 として、イントロダクションで挨拶をした渡部 俊也教授をモデレーターとして、パネリストに社会インフラへのAI活用を推進する株式会社グリッド代表取締役社長の曽我部 完氏、scheme verge株式会社取締役CSOであり一般社団法人HONGO AIディレクターの田中和哉氏、東北大学大学院経済学研究科の福嶋路教授が登壇した。
前半の松尾氏とシェイン氏による対談で語られたように日本は市場や可能性を秘めており、社会構造が変わることが求められており、登壇者から活発に意見が飛び交った。
田中氏は歴史的な情報科学分野における人材不足を指摘し、「HONGO AI」に関わっているベンチャーキャピタルや他のステークホルダーの立場からも大学と産業界が共同で松尾氏が紹介した「感染性」を高めるコミュニティ作りが重要とした。
この点に曽我部氏は企業経営者の立場から、大学と企業が埋もれた技術や知財を引き上げる役割を担うべきと提言している。企業や大学内だけで技術を埋もれさせず、新たな組み合わせによる活用を推進すべきだとした。
続いて田中氏は顧客との接点や異分野交流によって生まれる「気づき」は事業開発に重要であり、特にAIでは応用範囲が広いため、技術者でもどの産業分野で自分のプロダクトが活用できるのかすべてはわからないという。そこで福嶋氏は「相談したい時に明後日でないと会えない人より、徒歩10分で聞ける方が良い」として、本郷周辺で集積することで対面コミュニケーションが活発化する重要性を挙げた。
研究開発以外の要素について、曽我部氏からはガバナンスの重要性が提唱された。田中氏もこの点に同意しながら、企業としての組織体制を作り上げる過程には、起業家のスピード感だけではなく、社会人経験者やMBAホルダーのような方々の素養が重要である事を示した。特に事業開発ができるビジネスマン、特許や契約を管理する法務や、資金調達における財務に強い人材は、スタートアップによってはエンジニア以上に足りない状況であるという。
最後の締めとして、本郷バレーの将来について各参加者からの提言を求めた。重要な点としてブランド化が挙げられ、海外のハイテク集積地では、自治体と連携してスタートアップの地図が作成され、対外的なPRが行われていることが紹介された。こうした地域を挙げての取組の成果として、(スマホ以前に北米で普及していた携帯端末の)BlackBerryに元々在籍していたエンジニアがトロントのスタートアップに集まるなど、地域単位での優秀な人材の流動化・流入が起きているという。
また、日本において20~30代の社会人の意識は変わってきており、大企業の社員が退職後または企業内で起業するのも当たり前になりつつあるという。かつての東大卒業後に官僚などになるという進路から、企業(スタートアップや大企業)と大学と官僚を行き来するのが当たり前になってくると面白いなどの意見が上がった。
「本郷バレー」として人材の輩出のみならず地域内・間の流動性も確保しながら、新たな未来を築く人材が生まれてほしいと締めくくった。
東京大学を中心とした本郷には多くのスタートアップがひしめいており、日本中から優秀な人材も集まっている。こうした動きを世界に広げるには、産官学における緊密な連携は欠かせないだろう。本イベントにおいて道半ばではあるものの、こうした取り組みが確実に進んでいると実感できるシンポジウムであった。
著者プロフィール:
空前のAIブームに熱狂するIT業界に、突如現れた謎のマスクマン。
現場目線による辛辣かつ鋭い語り口は「イキリデータサイエンティスト」と呼ばれ、独特すぎる地位を確立する。
“自称”AIベンチャーを退職(クビ)後、ネットとリアルにおいてAI・データサイエンスの啓蒙活動を行う。
将来の夢はIT業界の東京スポーツ。
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■関連サイト
三井不動産東大ラボ
https://weekly.ascii.jp/elem/000/004/085/4085924/2/